ビワハヤヒデ

ビワハヤヒデ
Biwahayahide.JPG
2008年10月30日撮影(日西牧場にて)
品種 サラブレッド
性別
毛色 芦毛
生誕 1990年3月10日(31歳・旧表記)
Sharrood
パシフィカス
母の父 Northern Dancer
生国 日本の旗 日本福島県桑折町
生産 早田牧場
馬主 (有)ビワ
調教師 濱田光正栗東
厩務員 荷方末盛
競走成績
生涯成績 16戦10勝
獲得賞金 8億9767万5000円
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ビワハヤヒデ日本競走馬種牡馬である。半弟クラシック三冠馬ナリタブライアン、重賞を1勝したビワタケヒデがいる。馬名の由来は「ビワ」は馬主の冠名で「ハヤヒデ」は「速」さに「秀」でるようにとの願いからつけられた[1]

主要勝ち鞍:菊花賞天皇賞(春)宝塚記念など。16戦10勝(内GI3勝)2着5回。

※年齢は旧表記(数え年)

デビュー前

生産牧場が「福島県桑折町早田牧場(本場)」となっているが、育ったのは弟ナリタブライアンと同じ新冠支場である。これは、母パシフィカスが産気付くのが当初の予定より早く、新冠支場まで輸送できないと判断されて急遽福島の本場で降ろして出産させたためである。そのため現役当時、福島ではビワハヤヒデの事を指して「半田山(早田牧場本場はこの山の中腹にあった)の馬」と呼ぶ人もいた。

2歳秋に牧場の牧柵に激突し、右前肢ヒザ下の管骨付近の皮を10cmほど木でえぐる事故を起こす。しかし、幸いにも中スジには到達しておらず大事には至らなかったが、わずかでも事故の箇所がずれて腱を損傷していたら競走生命を絶たれていたほどの怪我であり、今も傷痕が残っている。

競走馬時代

3歳・4歳

1992年9月に3歳の時にデビューし、2着に1.7秒の大差をつけて勝利、続くもみじステークス、デイリー杯3歳ステークスを共にレコードタイムで勝利した。1番人気に支持されたGI朝日杯3歳ステークスではエルウェーウィンに競り負けたが翌年のクラシックの有力候補として3歳戦を終えた。

1993年、4歳初戦に陣営はメンバーが手薄な共同通信杯4歳ステークスを選択。しかし前を走るマイネルリマークを捕らえることができず、前走に続いて僅差で敗れた。次走の皐月賞トライアル若葉ステークスからはそれまで騎乗していた岸滋彦が降ろされ、名手・岡部幸雄を鞍上に迎えて勝利した。

クラシック初戦の皐月賞では一旦は先頭に立つもののゴール直前にナリタタイシンの強襲をうけ2着、続く東京優駿(日本ダービー)でも日本ダービー制覇を狙う柴田政人騎乗のウイニングチケットに敗れ、ここでも2着となった。

有力馬は秋のGIに体調を合わせるため夏シーズンに放牧に出されることが多いが、調教師の濱田はあえてビワハヤヒデを厩舎に残し徹底的に鍛え上げることにした。初戦の神戸新聞杯ではネーハイシーザーに1馬身1/2差をつけ勝利。本番の菊花賞では京都新聞杯も人気にこたえて優勝したウイニングチケットを抑えて1番人気に支持された。レースでは直線入口で抜け出して他馬を寄せ付けず、ステージチャンプに5馬身差をつけてのレコードタイムで初のGI勝利を挙げた。続く有馬記念では、トウカイテイオーの「奇跡の復活」と称された激走の前に2着と敗れたが、GI1勝、2着3回の実績が評価され、安田記念天皇賞(秋)を制したヤマニンゼファーを抑えて年度代表馬に選ばれた。

5歳

1994年、5歳となり古馬になったビワハヤヒデは4歳春の時のような勝負弱さを完全に克服した。初戦の京都記念を7馬身差で圧勝すると、京都競馬場の改修工事のため阪神競馬場で施行された天皇賞(春)でも直線でナリタタイシンに詰め寄られながらも再度突き放すレースぶりで1馬身1/4差をつけて優勝。その前の週に弟であるナリタブライアン皐月賞を優勝していたため、「兄貴も強い!兄貴も強い!弟ブライアンに次いで兄貴も強い!」 と実況された[2]。続く宝塚記念でもほぼ持ったままで5馬身差のレコード勝ち[3]。秋初戦でもオールカマーで4歳時のライバル、ウイニングチケット以下に1馬身3/4差をつけて優勝し、秋のGIシーズン、更には有馬記念でのナリタブライアンとの兄弟対決に向けて良好なスタートとなった。

しかし、史上2頭目の春秋連覇を目指して臨んだ天皇賞(秋)ではネーハイシーザーの5着に敗北、生涯で初めて連対を外した。レース後、競走中に屈腱炎を発症していたことが判明し、引退を余儀なくされた。なお、この屈腱炎が敗因の直接的な原因であったかは不明である。

結局、翌週の菊花賞を制して三冠馬となったナリタブライアンとの兄弟対決が実現することはなかった。現役最後の年となったこの年は年初からの二つのGIを含む重賞4連勝が評価されJRA賞最優秀5歳以上牡馬(部門名は当時)に選出されている。

競走成績

年月日 競馬場 競走名


オッズ
(人気)
着順 騎手
距離(馬場) タイム
(上り3F
タイム
勝ち馬/(2着馬)
1992. 9. 13 阪神 3歳新馬 14 3 4 6.9(2人) 1着 岸滋彦 53 芝1600m(良) 1.38.3(不明) -1.7 (テイエムシンザン)
10. 10 京都 もみじS 10 7 8 2.3(1人) 1着 岸滋彦 53 芝1600m(良) 1.34.3(不明) -0.2 シルクムーンライト
11. 7 京都 デイリー杯3歳S GII 9 8 8 1.7(1人) 1着 岸滋彦 54 芝1400m(良) 1.21.7(不明) -0.3 (テイエムハリケーン)
12. 13 中山 朝日杯3歳S GI 12 6 7 1.3(1人) 2着 岸滋彦 54 芝1600m(良) 1.35.5(35.5) 0.0 エルウェーウィン
1993. 2. 14 東京 共同通信杯4歳S GIII 9 1 1 1.3(1人) 2着 岸滋彦 57 芝1800m(良) 1.48.7(34.9) 0.0 マイネルリマーク
3. 20 中山 若葉S OP 8 8 8 1.3(1人) 1着 岡部幸雄 56 芝2000m(良) 2.00.9(35.7) -0.3 (ケントニーオー)
4. 18 中山 皐月賞 GI 18 8 18 3.5(2人) 2着 岡部幸雄 57 芝2000m(良) 2.00.3(35.4) 0.1 ナリタタイシン
5. 30 東京 東京優駿 GI 18 4 7 3.9(2人) 2着 岡部幸雄 57 芝2400m(良) 2.25.6(36.3) 0.1 ウイニングチケット
9. 26 阪神 神戸新聞杯 GII 9 1 1 1.6(1人) 1着 岡部幸雄 56 芝2000m(良) 2.02.9(35.0) -0.2 ネーハイシーザー
11. 7 京都 菊花賞 GI 18 4 7 2.4(1人) 1着 岡部幸雄 57 芝3000m(良) 3.04.7(34.5) -0.9 ステージチャンプ
12. 26 中山 有馬記念 GI 14 8 13 3.0(1人) 2着 岡部幸雄 55 芝2500m(良) 2.31.0(35.3) 0.1 トウカイテイオー
1994. 2. 13 阪神 京都記念 GII 10 6 6 1.2(1人) 1着 岡部幸雄 59 芝2200m(稍) 2.16.8(37.0) -1.1 (ルーブルアクト)
4. 24 阪神 天皇賞(春) GI 11 8 11 1.3(1人) 1着 岡部幸雄 58 芝3200m(稍) 3.22.6(36.5) -0.2 (ナリタタイシン)
6. 12 阪神 宝塚記念 GI 14 8 13 1.2(1人) 1着 岡部幸雄 56 芝2200m(良) 2.11.2(35.0) -0.8 アイルトンシンボリ
9. 18 中山 オールカマー GIII 8 8 8 1.2(1人) 1着 岡部幸雄 57 芝2200m(重) 2.14.5(35.4) -0.3 (ウイニングチケット)
10. 30 東京 天皇賞(秋) GI 13 2 2 1.5(1人) 5着 岡部幸雄 58 芝2000m(良) 1.59.1(35.1) 0.5 ネーハイシーザー

引退後

引退後は種牡馬となり、ビワハヤヒデが3歳からレコードタイムを出すなど活躍していたことからも期待されたが、ズブい長距離馬が多く重賞優勝馬が出なかった。ちなみに3歳クラシック時に本馬と共に三強と呼ばれたウイニングチケットナリタタイシンも種牡馬としては失敗に終わり、3頭とも早々に種牡馬引退を余儀なくされた。代表産駒は、京都2400mのコースレコードホルダーであるサンエムエックス

2005年をもって種牡馬生活を引退、その後は門別町にある日西牧場で余生を過ごしている。

2010年7月25日函館競馬場でお披露目され、ウイニングチケットと16年ぶりに再会した。

主な産駒

エピソード

  • 1993年の牡馬クラシック三冠を分け合ったナリタタイシン・ウイニングチケットと共に三強あるいは新平成三強と称された。その頭文字を取ってBNWとも呼ばれる。しかし4歳秋以降のビワハヤヒデの充実ぶりは目覚しく、NWとの直接対決にも全勝しており、実力的に三強鼎立の構図と言えたのはダービーの頃までであった。
  • ビワハヤヒデの当初の主戦騎手は岸滋彦であった。濱田は岡部幸雄に騎乗依頼を出していたが、岡部は当初「(同世代のお手馬の)クエストフォベストの方が強い」と言って断っていたのである。しかし、共同通信杯の惜敗でビワハヤヒデから岸が降ろされることが決まり、その一方でクエストフォベストが故障したこともあって、濱田の念願通り岡部がビワハヤヒデの主戦となった。競馬の世界では敗戦が理由の乗り替わりは日常茶飯事と言ってしまえばそこまでであるが、岡部と入れ替わりにビワハヤヒデを降ろされた岸は、ライバルのナリタタイシンの主戦となった武豊やウイニングチケット担当の島厩務員にとっては小学校時代からの付き合いの長い仲の良い後輩であったことから、武と島は共に「クラシックを白い馬(=芦毛のビワハヤヒデ)にだけは勝たせたくない」という感情を抱いて[4]、この年のクラシックを闘って行く事となった。
  • 新馬戦デビュー時から赤いメンコを付けていたが、神戸新聞杯以降のレースでは外して戦いに臨んだ。これによりビワハヤヒデの顔は大きくて不細工だという声が上がるようになった。これは顔が白く体がグレーであったため顔が目立ち大きく見えたことが大きいが、現在の供用先の日西牧場の厩務員によると「それでも顔は大きい方」とのことである。
  • 新馬戦からオールカマーまでの15戦すべてで連対しておりこれはシンザンに次ぐJRAの連続連対記録となっている。

血統表

ビワハヤヒデ血統グレイソヴリン系Nasrullah5×5=6.25%(父内)) (血統表の出典)

*シャルード
Sharrood
1983 芦毛
父の父
Caro
1967 芦毛
*フォルティノ
Fortino
Grey Sovereign
Ranavelo
Chambord Chamossaire
Life Hill
父の母
Angel Island
1967 鹿毛
Cougar Tale of Two Cities
Cindy Lou
Who's to Know Fleet Nasrullah
Masked Lady

*パシフィカス
Pacificus
1981 鹿毛
Northern Dancer
1961 鹿毛
Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
母の母
Pacific Princess
1973 鹿毛
Damascus Sword Dancer
Kerala
Fiji Acropolis
Riffi F-No.13-a


脚注

  1. ^ アバンティーから発売されたビワハヤヒデのぬいぐるみに付属していた馬名由来のメモには「冠名の『ビワ』と生産のお世話になった人にちなんで命名」ともあったが、後にシールで張り替えられ、上記のようになっていた
  2. ^ 詳しくは杉本清の項目を参照。
  3. ^ このレースのゴール前での攻防が2013年JRAのGIプロモーションCM「The LEGEND」で使用されている。
  4. ^ 学研ムック『忘れられない名馬100』p22,1996年

外部リンク