フェイ・ヴィンセント

フェイ・ヴィンセント(Francis Thomas "Fay" Vincent, Jr. 1938年5月29日 - )は、アメリカMLBの8代目のコミッショナー(1989年9月13日から1992年9月13日まで),弁護士。コロムビア・ピクチャー、コカコーラを経て、1988年に副コミッショナーとして球界入り。コミッショナーのA・バートレット・ジアマッティはヴィンセントの友人。1989年ジアマッティが急死すると、ヴィンセントがコミッショナーに昇格した。

コミッショナー在任中における重要な出来事として以下の3つあげられる。一つは、ニューヨーク・ヤンキースのオーナーのジョージ・スタインブレナーを当時事実上永久追放したこと、もう一つは、ナショナルリーグを拡大して発生した収入をアメリカンリーグにも一部分配したことである。そして、1990年の労使交渉において、コミッショナーの権限を行使し、オーナー側が実施したスプリングキャンプのロックアウトを解除したことである。

ジョージ・スタインブレナーとスピラ事件

ニューヨーク・ヤンキースのオーナーのジョージ・スタインブレナーは、1980年のオフにデーブ・ウィンフィールドと大型契約を結ぶが、1981年のワールドシリーズで不振だったことを根に持ち、両者は確執を起こすことになる。そして1990年のシーズン途中にカリフォルニア・エンゼルスにトレードされる。

ウィンフィールドはテン・アンド・ファイブ・ルール(メジャーリーグに10年在籍した選手に与えられるトレードの拒否権)を主張し、スタインブレナーと話し合いになったが、これに対してエンゼルス側が「不正な根回しがあった」として抗議したのである。結局、エンゼルス側の主張が認められてスタインブレナーはタンパリングのかどでコミッショナーから罰せされる。

この取調べの中で、スタインブレナーがハワード・スピラというとばく屋と交際し、そしてスピラにウィンフィールドを密かに尾行させて私生活を調べさせようとした行為が発覚した。こうして、ヴィンセントはスタインブレナーを無期限のオーナー資格の停止処分とした。

1990年の労使交渉

1990年の労使交渉に際して、オーナー側はスプリングキャンプの32日のロックアウトを強行した(レギュラーシーズンの開幕は遅れたが、変則的な日程をこなして全試合消化された)。これに対してヴィンセントはコミッショナー権限を行使してロックアウトを解除しようとしたため、オーナー側の憤激を買うことになった。

ナショナル・リーグの拡大

1993年からナショナルリーグ2球団を誕生させることになり、MLBはフランチャイズ都市を募集するべく競売にかけた。そうして、2つのグループが競り落とし、この2グループがMLBに支払った加盟料の金額は約9500万ドルと巨額なものとなった。それまで、新球団の誕生の際にはリーグに対して加盟料を支払いリーグ内に留保されていたが、ヴィンセントはこれをアメリカンリーグの一部にも配分したのである。これは、両リーグから反発を招くことになる。ヴィンセントはさらにアメリカンリーグとナショナルリーグに当時属していた球団を一部入れ替える措置もとった。これもまたオーナーにとっての反発材料になってしまった。

辞任へ

1990年の労使交渉と、ナショナルリーグの拡大による加盟料の分配方法は、どれもオーナーを満足させるものではなかった。オーナーの一部から、コミッショナーはよりオーナーの利益にかなう行動を取るべきだという反発の声が上がり、そうした動きに対してヴィンセントはコミッショナー権限の無限拡大を訴えた。そして、一部のオーナーが結託してヴィンセントの追放を画策した。1992年のオーナー会議で18対9の不信任となり、それを受けてヴィンセントは辞任した。

以下の4名が暗躍したといわれ、一部メディアはThe Great Lakes Gangと呼んだ。

ヴィンセントの後任には、バド・セリグがコミッショナー代行に就任した。