ホッローケー

ホッローケー
Hollókő
ファイル:Hollokohungary101.jpg
ホッローケーの市章
村章
座標 : 北緯47度35分53秒 東経19度20分58秒 / 北緯47.59806度 東経19.34944度 / 47.59806; 19.34944
行政
 ハンガリー
  ノーグラード県
 村 ホッローケー
村長 Csaba Szabó
地理
面積  
  村域 5.18 km2
標高 352 m
人口
人口 (2001年現在)
  村域 387人
    人口密度   74.7人/km2(193.5人/mi2
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 3176
市外局番 36
公式ウェブサイト : http://www.holloko.hu
サールの丘の城

ホッローケー[1]Hollókő)は、ハンガリーノーグラード県の村。ホローケー[2]ホロケ[3]ホッロークー[4]という表記も見られる。「ハンガリーで最も美しい村」[5]とも評される伝統的な村落が保存されていることから、古民家の建ち並ぶ中心的な通りが世界文化遺産に登録されている。

位置

村は、首都ブダペストから北東に91.1kmの場所に位置し、スロバキアとの国境にも比較的近い。一帯は低い山頂が連なるチェルハート山脈(Cserhát)の渓谷に含まれており、この自然環境は保護地区にもなっている[6]

歴史

ホッローケーという村の名前はハンガリー語の「カラス」と「石」を組み合わせたもので、魔女がカラスたちに石を運ばせ、城を作り上げた民話に由来するという[7]。異伝では、隣国の女性が城に幽閉されたときに、その乳母の依頼で悪魔がカラスたちを使い、城の石を持ち去って助け出したからともいう[6]。現在の村の紋章でもカラスが使われている(記事冒頭のテンプレート内参照)。

村を見下ろすサールの丘(Szár, 標高365 m)には今も城が残っているが、これは13世紀にモンゴル帝国の侵攻を受けた後に建造されたものである。この城はフス戦争の際にも宗教改革派を阻む防壁として機能していた[8]。18世紀に一部が損壊したとはいえ、ハンガリー北部に残る城砦建築の中では、保存状態が良い部類に属している。

ホッローケー村の伝統的な住民たちはパローツ人であり、モンゴルの西進の際にカスピ海沿岸部から逃れてきたクマン人の流れを汲むともされる。その伝統的集落は木造を主体としており、焼失と再建を繰り返してきた。1781年には木造を禁止する法令も出され、罰則も定められたが、木造の伝統は守られていった[9]

1772年には単一の通りしか存在していなかったが、後に裏通りが整備され、基本的な区画は1885年には確定した。それは今でもほとんど変わっていないが、建造物群の大半は1909年の大火で焼失してしまったため、20世紀になって再建されたものである[10][8]。再建時には石壁を主体とするようになり、木造は限定的に取り入れられている。

ホッローケーの村落は、20世紀のハンガリーにおいて経済的に取り残された地域となった。村の周辺には野菜畑や果樹園が広がり、かつては自給自足経済が営まれていたが、地質の悪さから伝統的に貧しく、鉄道や幹線道路の敷設地からも離れていた。1950年代以降にハンガリーが経済成長を遂げ、各地で新しい住宅が建てられたときにも、そうした流れとホッローケーはほぼ無縁だった[7]。しかし、その結果、共産主義政権下での集団農場化にも巻き込まれることがないまま、伝統的集落が良好な状態で保存されることになり、1987年には人が住んでいる村落としては初めて世界遺産に登録された[8][6]

世界遺産

世界遺産 ホッローケーの
古い村落とその周辺
ハンガリー
木造聖堂(奥)と民家群
木造聖堂(奥)と民家群
英名 Old Village of Hollókő and its Surroundings
仏名 Hollókö, le vieux village et son environnement
面積 145 ha(本文も参照)
登録区分 文化遺産
登録基準 (5)
登録年 1987年
備考 2003年に現在の登録名に変更
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法表示
パローツ様式の典型的住居

1987年、「ブダペスト、ドナウ河岸とブダ城地区」(現・「ドナウ河岸、ブダ城地区およびアンドラーシ通りを含むブダペスト」)とともに、ハンガリーで初めて世界遺産リストに登録された。ICOMOSの評価書には「ホッローケー、農村建築物群」(Hollókő, rural architecture / Hollókő, ensemble d'architecture rurale)と記載されていたが[10]、正式登録名は単に「ホッローケー」となった。2003年にハンガリー当局の要請を踏まえて「ホッローケーの古い村落とその周辺[11]と改称された[12]

パローツ様式と文化的伝統

ホッローケーにはパローツ様式(Palóc)と呼ばれる独特の建築様式が保存されている。白い壁は泥と藁を混ぜたものに石灰を塗って作られている。屋根の下には木製の飾り格子があり、家紋のようにそれぞれの家が分かる透かし彫りになっている。これは装飾的役割だけでなく、煙の通り道としても機能している。外観は2階建てのようにも見えるが、石造りの地下室と木造の平屋で構成されている[6][8]

パローツの伝統は、美しい刺繍に飾られた民族衣装にも表れている。特に女性用は多重のスカートやエプロンからなる美しい民族衣装で、行事のとき以外にも日曜礼拝などでは今でも着用されている。女性の場合、結婚してから出産するまでの間には、特に華やかな専用の衣装を着る。これは、慎ましやかな未婚の時期と、子育てに忙殺される出産後の時期の間が最も華やぐ時期とする考え方に基づいているという[7]

世界遺産となり、年間数万人の観光客が訪れるようになってからは、パローツの民族衣装を纏った女性たちによって、菓子作りや民族舞踊などのレセプションが行われている。また、民家の中には観光客が宿泊可能なものもある[13]

パローツの文化的伝統は言語にも表れている。地元では独特の「パローツ方言」が話されてきた。しかし、過去に標準語の使用が強制されていた歴史的背景から、話せる住民は高齢者に限られているという[7]

登録対象

登録範囲は140 ha あまり[14]で、伝統的村落の中心的な通りのコシュート・ラヨシュ通りと、その裏手に当たるペテーフィ・シャーンドル通りに並ぶ65軒[15]が対象となっている。

コシュート通りはメインストリートとはいえ、傾斜している上に平坦に整備されているわけではない。この道には、伝統文化を知ることのできる「村の博物館」、昔の郵便配達人の姿を伝える郵便博物館、民族衣装を纏った様々な人形の展示された人形博物館などがある[8]。通りの端には カトリック木造聖堂が建っている。それは本来14世紀に建造されたものだが、1909年に焼失したため、忠実に再建されたものである。

その木造教会を折り返し点にするように裏通りのペテーフィ通りが伸びており、2つの通りは三日月型につながっている[16]。こうした三日月状の通りはハンガリーにはしばしば見られるものであり、折り返し点に教会や広場を配置するのも標準的なものである。ただし、民族的・地理的特質から、建造物群にはハンガリーよりもスロバキアに近い要素が含まれていることも指摘されている[17]

ペテーフィ通りには陶芸家や彫刻家の工房があり、民芸品の展示などを行っている[8]

緩衝地域は 140 ha で、サールの城やブドウ畑など、村落の周辺環境が対象となっているとする文献もある[7]

保全

ハンガリーに唯一残った伝統的村落として、世界遺産登録前から文化財保護法(1962年)に基づき、保存活動が行われてきた。保護主体は自然環境省内の世界遺産委員会内とされているが、実質的に管理を行っているのは「保護委員会」だという。この委員会には文化庁、村役場、建築学の専門家、地元の観光協会の代表者などが参加している[7]

文化財保護の観点から、伝統的住居について増改築するときには村役場の許可が必要になる[7]。なお、伝統的な住民たちも利便性の高い新市街に移住する事例は増えている。その結果、世界遺産登録地域内の住民構成もパローツにあこがれて移住してきた知識人の方が多くなっており、20世紀末の時点で伝統的なパローツの世帯は6世帯になっており[6][8]、2009年には36人にまで減っているという[18]

こうしたことによって、ホッローケーのアイデンティティや伝統が失われることへの懸念も指摘されている[19]

登録基準

ハンガリー当局は基準(3)、(4)、(5)に該当するものとして申請したが、結果的にはこの世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

  • (5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。

この基準は、上述の通り、パローツ様式の伝統的集落が、そこで暮らす人々の生活とともに良好に保存されており、20世紀に集団農場化されて大きく農業が変わるより前の農村の姿をよく伝えていることによる[10]

観光アクセス

既述の通り、世界遺産登録に対し住民は好意的で、そのことに誇りを持っているという[7]。しかし、知名度の向上によって観光客は増加し、年間の観光客は2、3万人に及ぶ[6]。その結果、村につながる唯一の幹線道路が、復活祭の時期などには大渋滞する事態にもなっている[7]

2009年7月時点ではブダペストからの直通バスが1日に数本出ている[13]。バスでの所要時間は約2時間である[20]

その他

人が住んでいる村落としては、その後ヴルコリニェツ(1993年)、白川郷・五箇山の合掌造り集落(1995年)などが登録された。日本では、寒さに対応するための住居の工夫、色彩も含めた外観、交通の不便さから都市化を免れた点、伝統文化を守ることへの地元住民の意識の高さなど、白川郷五箇山とホッローケーに共通する要素も指摘され、比較対象にもなっている[7]

姉妹都市

脚注

  1. ^ 水村光男監修『ヨーロッパの世界遺産(4)』講談社+α文庫、2004年 ; 古田陽久監修「Yahoo!トラベル 世界遺産ガイド」; 『中欧 ポーランド・チェコ スロヴァキア・ハンガリー 読んで旅する世界の歴史と文化』新潮社、1996年
  2. ^ 日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報2010』ほか ; 世界遺産アカデミー『世界遺産検定公式ガイド300』ほか
  3. ^ 太田邦夫ほか『世界遺産を旅する(4)』近畿日本ツーリスト
  4. ^ ホッロークー(ハンガリー政府観光局による紹介) ;『地球の歩き方MOOK 見て読んで旅する世界遺産IV』2005年 ; 『世界の建築・街並みガイド5』エクスナレッジ、2004年
  5. ^ 水村光男監修『ヨーロッパの世界遺産(4)』講談社+α文庫、2004年 ; 太田邦夫ほか『世界遺産を旅する(4)』
  6. ^ a b c d e f 太田邦夫ほか『世界遺産を旅する(4)』近畿日本ツーリスト、1998年、pp.128-130
  7. ^ a b c d e f g h i j 国土庁計画・調整局監修『歴史と風土とまちづくり 世界遺産と地域』ぎょうせい、1998年、pp.54-63
  8. ^ a b c d e f g 水村光男監修『ヨーロッパの世界遺産(4)』講談社+α文庫、2004年、pp.222-229
  9. ^ ユネスコ世界遺産センター監修『世界遺産(9)東南ヨーロッパ』講談社、1997年
  10. ^ a b c ICOMOS の評価書(1987年)
  11. ^ 「ホローケーの古村落とその周辺地区」(日本ユネスコ協会連盟『世界遺産年報2010』)、「ホローケーの古集落」(『21世紀世界遺産の旅』小学館、2007年)、「ホローケーの伝統的集落」(世界遺産アカデミー『世界遺産検定公式ガイド300』2010年)、「ホッローケーの古村と周辺環境」(Yahoo!トラベル 世界遺産ガイド)などとも表記される。
  12. ^ 名称変更に関する議決(ユネスコ世界遺産センター)
  13. ^ a b ホッロークー(ハンガリー政府観光局による紹介)
  14. ^ 世界遺産アカデミー『世界遺産学検定公式テキストブック(2)』(講談社、2006年)では141 ha とされている。世界遺産センターが公表している数値は145 ha となっているが(2011年1月11日時点)、ホッローケーに関する議事録の中で登録範囲拡大を決議したものはない。
  15. ^ 世界遺産関連文献には「65軒」としているものと「126軒」としているものがある。
  16. ^ 小泉澄夫『世界遺産ビジュアルブック(8) 中欧(2)チェコ / ハンガリー』毎日コミュニケーションズ、2008年
  17. ^ 『世界の建築・街並みガイド5』エクスナレッジ、2004年
  18. ^ ホローケーの古い村落|THE世界遺産
  19. ^ http://whc.unesco.org/archive/periodicreporting/EUR/cycle01/section2/401-summary.pdf
  20. ^ 『21世紀世界遺産の旅』小学館、2007年
  21. ^ Article consacré au jumelage avec Salers

関連項目

外部リンク