名鉄3800系電車

名鉄3800系電車(めいてつ3800けいでんしゃ)とは、1948年(昭和23年)から1990年(平成2年)まで名古屋鉄道に在籍した電車である。

最大71両が在籍し、1950年代の名古屋鉄道における主力車両となったが、現在は他社に転出した車両も含めて全車廃車になっている。

本項では他社への譲渡車両についても記述する。

概要

車体・内装

3800系ク2834(ナゴヤ球場前駅、1988年)

運輸省私鉄標準規格A'型の車体を持つ17m(車体のみの長さ)・2扉車である。製造当時におけるごく一般的な窓上下の補強帯(ウィンドウシル・ヘッダー)付きの半鋼製車体を持ち、2扉ロングシート車として登場した。

車体長がモ800形(初代)3600系よりもやや短いため、扉間の窓が1つ少ない9個である。運輸省規格型電車の特徴である広い幕板については、それまでの名鉄オリジナル車がそのようなタイプだったためあまり目立たず、むしろ窓の天地寸法が従来よりやや大きいのでかえって軽快に見えた。同じく規格型の近鉄名古屋線モ6331形にも類似している(但し近鉄車は扉間窓が8個[1])。登場時の本形式は2扉車であるが輸送力重視の設計で、扉横の窓1個分×4箇所には当初より座席が無く立ち席スペースとなっていた。乗務員室は、本系列より全室運転台となり客室とは完全に仕切られている。また本系列以降、名鉄では両運転台の1500V専用電車は新製されなくなった。

1960年代になって大部分の車両は車体更新を行い、3800形として残された車はその際ウィンドシルを除去したもの、運転台を踏切事故に備えて「高運転台」化工事を施したもの、またはその両方を施工するなど、原型を保持した車はほとんど残らなかった。

上述のように登場時は全車がロングシートであったが、やはり1960年代に一部が扉間転換クロスシートに改造され、残ったロングシート車のほとんどは他社に譲渡、または7300系へと更新された。

蛍光灯化により見られなくなっていたが、当初の客室照明は3550系以前と同じく天井中央1列のグローブ付き白熱灯であった。ただし、取付部の意匠が3550系以前とは異なっていた。また、セミクロス化改造車は扉間のロングシートを転換クロスシート14脚に、壁の色をニス塗りから淡緑色に変更した。さらに1974年以降、ラッシュ時対策として扉寄りのクロスシートが撤去され10脚(20名分)に減っている。

機器

釣り掛け駆動のAL車(間接自動制御車)であり、150PS級の東洋電気製造TDK-528系主電動機を搭載する。主制御器は電動カム軸式だが、本形式固有の東洋ES-516型で、制御段数は直列5段・並列4段・弱め界磁1段へと減じた。

台車は基本的に日本車輌製の組立式イコライザー台車D-18を装備していたが、ク2800形の一部は3880系廃車時に捻出された鋳鋼製の住友KS-33Lに交換された。ブレーキは標準的な自動空気ブレーキである。

編成

基本的にはモ3800形(Mc) - ク2800形(Tc)の組み合わせである。

なお、モ3504が事故で焼失したため、機器を流用したモ3561の連結相手としてク2836が連結されていた。この編成はAL車の中でもっとも外観が不揃いな編成となっていた。

また、晩年には築港線3790系の編成の中間にク2815[2]が組み込まれていた。HL車(間接非自動制御車)とAL車の相違点はマスコン及び制御器であるため(厳密には自動空気ブレーキの弁型式も異なるが)、付随車の代用としてなら連結できたという例である。

運用

1948年の西部線(旧名岐鉄道線)の昇圧工事・東西直通運転の開始に伴い、新岐阜(現、名鉄岐阜)~豊橋間の直通特急車として10編成20両(3801-2801~3810-2810)が登場。翌年には25編成50両(3811-2811~3835-2835)を増備、全線1500V化された名古屋本線の主力車となり、名鉄の代表車両となった。製造はほとんどが日本車輌製造本店であったが、ク2800形5両のみ帝国車輛工業で製造されている。さらに1954年(昭和29年)に半田市の輸送機工業でク2800形1両(2836、国鉄型TR14台車)が増備されている。当時の在籍数71両は、いわゆるAL車のうち実に4割近くを占める勢力であった。

1960年代に入ると高性能車増備が進展してきたことから次第にローカル運用へと転用されたが、同後半以降は、物資窮乏時代の製造で出来の悪い車体が災いして急速に淘汰が行われていった[3]1967年(昭和42年)から一部車輌が富山地方鉄道へ貸し出されてそのまま移籍、1971年(昭和46年)には30両(名義上は29両)が走行機器を7300系に譲って廃車された。最終的に名鉄に残った3800系はほとんどが転換クロスシート化された車両で、最盛期の約3分の1でしかなかった。

だが、オイルショック以降は置換え計画も頓挫して延命方針に切り替わり、ラッシュ対策でクロスシートの一部撤去などの改造を経て、全車廃車となったのは、時代も平成に変わった1990年のことである。

他社への譲渡

富山地方鉄道14710形

14710形14717(寺田駅、1982年)

1967年に一時的に借り入れという形をとり、1969年(昭和44年)までに正式に14両が移籍した。

主に立山線特急に使用することになり、国鉄12系客車に似たような青い車体に白い帯が入る塗色に変更され、さらに一部の車両は固定クロスシート化された。1981年(昭和56年)からは車体更新を開始して前面が非貫通となり、さらに1985年(昭和60年)以降は地鉄特急色への変更が行なわれた。

長らく独立運用が組まれていたが、1982年(昭和57年)には阪急電鉄から購入した廃車発生部品の電磁直通ブレーキ装置(HSCブレーキ)を装備し、14750形のみならず、10020形14760形以外のカルダン車とも連結できるようになったが、立山線・上滝線中心の運用であった。

1993年(平成5年)までに全車廃車になった。

豊橋鉄道1720系

1969年にロングシートで残っていたモ3813-ク2813の車体を譲り受け、足回りには国鉄クモハ12形クモハ14形の廃車発生品を使用し、2年前に譲渡された1800系(初代)と同様、1両2個モーターの600V電動車2両編成として渥美線モ1720形モ1721-モ1770形モ1771となった。当時の豊鉄は名鉄の黄クリームと赤帯に準じた塗色を採用し、台車も同じイコライザー式(DT11)のため、外観の印象は名鉄車両そのものであった。ただしパンタグラフは1800系と同じく2両とも永久連結側に搭載となっている。名鉄時代に改造された高運転台のまま使用され、後年非貫通化されている。元名鉄の1900系に置き換わる形で1991年(平成3年)に廃車された。

大井川鐵道

1970年(昭和45年)にはモ3805-ク2805の編成が大井川鉄道に譲渡され、モハ310-クハ510として運行開始した。また、1972年(昭和47年)には、7300系への更新で不要になった旧車体のみ4両分が譲渡され、大井川の在来車両の足回りと組み合わせる形で営業運転に投入された。こちらはモハ3822-クハ2822、モハ3829-クハ2829と、名鉄時代の元の番号そのままで使用された[4]。これら3編成の旧3800系は、長きにわたって大井川鉄道の主力車となった。

譲渡時期が早いモハ310の編成は1980年代に入ると廃車候補になったが、このうちクハ510のみが、1986年(昭和61年)に大改造によりオープン客車のクハ861となった。電車形式のままではあるが、客車列車に連結できるように貫通幌も交換されていた。この車両はイベント列車に連結され運用された。最末期には、車籍を残していたものの使い勝手の悪さから使用されなくなり、千頭駅で雨ざらしの状態で荒廃していたが、1999年(平成11年)に廃車された。 とはいえまだ解体はされておらず、千頭駅構内にてその姿を見ることができる。

残る2編成はその後も運用に就いたが、老朽化と代替車となる近鉄16000系の投入に伴い、1998年(平成10年)に廃車された。しばらく新金谷駅の側線に留置された後、同年12月に解体されている。なお、3822編成は、末期にはイベントの関係で赤と白の派手な塗装に変更されていた。

脚注

  1. ^ モ6301形に始まりモ6311形、モ6331形、6401系まで続いた当時の近鉄名古屋線17m車両の標準スタイルである。
  2. ^ 築港線専用で運用されたク2815は、1968年に初代ク2815が富山地方鉄道に譲渡された後、1969年にモ3816を電装解除・改番して誕生した2代目である。
  3. ^ 当時名鉄で「通勤電車といえども冷暖房完備、転換クロスシートで全員着席とすべし」との理想を掲げていた白井昭は、本形式を悪い電車であると断言している。
  4. ^ このうちモ3829は、旧国鉄モハ1形モハ301と振替(車籍流用)。