日本の深夜バス

深夜バスの例(神奈川中央交通本厚木駅午前0時35分発鳶尾団地行き)

日本の深夜バス(にほんのしんやバス)では、日本における路線バスの運行形態の1つである深夜バスについて記述する。

主に午後11時以降となる深夜時間帯に運行され、運賃や運行形態などが通常とは異なる設定となっている路線バスをさす。本項では以下必要に応じて、乗合自動車運送事業の免許は「乗合免許」、貸切自動車運送事業の免許は「貸切免許」、通常の乗合自動車運送事業で認可された運賃は「通常運賃」と表記する。また、本項では鉄道の最終列車出発後に都心と郊外を結ぶ目的で設定された深夜急行バス深夜中距離バスについても記述する。

歴史

登場の経緯

1970年代以降、日本では都市部の人口が増加するにつれ、都心部の人口が減少するのと並行して都市外縁部の人口が増加していた[1]。東京圏を例にすると、1975年時点での平均通勤所要時間が45分から60分という事例が多かった[1]のに対し、1985年での平均通勤所要時間は60分から75分程度の時間が多くなっていた[1]。この事例は、都心部を同じ時間に出発しても、居住地へ帰着する時間は遅くなるということを示していた[1]。また、都市機能の多様化により、都市の活動時間、言い換えれば都市部にいる人の生活時間の拡大と、それに伴うライフスタイルの変化は顕著なものになった[1]

このような状況下においても、バスにおいては午後9時前後で頻繁な運行は終わり[2]、午後10時台には最終バスが発車するのが主流という状態で[3]、その後の深夜の輸送手段はタクシーが担っていた[3]。しかし、タクシーの待ち時間が30分を超えることも珍しくなくなってきていた[3]ことから、利用者からは「バスをもっと遅くまで走らせて欲しい」という要望が高まり[2]、深夜時間帯の輸送力の確保が課題となった[3]

深夜バスの成立と拡大

こうした背景から、運輸省(当時)は大規模住宅団地の深夜の輸送手段確保について積極的な姿勢を見せ[2]、1970年12月には「大都市周辺部の深夜バス輸送について」という通達を発した[2]

これより少し遡る1970年5月、東京都町田市では鶴川団地への入居が開始されたばかりであった[2]が、住民から神奈川中央交通に対して、最寄り駅となる小田急小田原線鶴川駅からの最終バスの延長を求める申し入れがあった[2]。神奈川中央交通ではこの要望に対して、鶴川駅発で23時台に2本のバスを設定したが、このバスでは貸切免許の乗合許可という扱いとし[2]、運賃を通常の3倍である60円に設定し[2]定期券は利用不可とした。これが日本における深夜バスの始まりである[2]

運輸省の通達を受けて、1971年からは東武鉄道(当時)上尾駅発のバスで深夜バスの運行を開始[4]1974年からは新京成電鉄(当時)船橋市で深夜バスの運行を開始する[4]など、深夜バスの運行は徐々に拡大されてゆく[2]

しかし、深夜バスの運行にあたっては、不規則勤務となる乗務員に手当を支払った上で採算性が確保できるほどの需要があるかという問題があった[2]。この判断は事業者によってかなり差があり[2]、初期における深夜バス展開は神奈川中央交通が圧倒的といってもいいほどで[5][注釈 1]1986年までに深夜バスの運行を開始した事業者は、東京圏においても前述の事業者以外には相模鉄道(当時)[2]京成電鉄(当時)[2]小田急バス[2]京王帝都電鉄(当時)[2]など少数で、東京圏以外では1983年に深夜バスの運行を開始した名古屋鉄道(当時)の事例があるのみであった[4]。系統数も、京王帝都電鉄が1980年に一挙に多数の深夜バスを設定したものが目立つ程度であった[2]

こうした状況下、運輸省と行政管理庁では、1984年に再度深夜の足の確保に関する勧告を出した[2]。これ以降、1986年ごろからは深夜バスの系統数の伸びは著しく[2]、1987年には公営事業者では初めて横浜市交通局が深夜バスの運行を開始した[4]1990年代に入ると都心部においても深夜バスの運行が開始され[5]、大阪や福岡でも運行が開始されるようになった[5]

終夜バスへの試みと挫折

深夜急行バスの例(国際興業バス「ミッドナイトアロー光が丘・和光市」)

1980年代後半には、日本国外においてバスが終夜運行されている事例を鑑みて[6]、「終夜バス」と称して都心と郊外の団地を直結するバス運行についても推進する動きを見せた[6]。これは鉄道の最終列車よりも遅く都心部を出発して比較的長距離の郊外へ運行されるものであった[6]

当初、南海電気鉄道(当時)が試験的に難波から泉佐野・光明池・河内長野へのバスを運行する動きもあった[6]が、東京急行電鉄(当時)1987年に渋谷から青葉台までの区間で運行を開始した「ミッドナイトアロー」が、日本で初めてとなる深夜急行バスである[7]。その後各事業者で運行が開始され、1990年頃には比較的短い距離で深夜中距離バスの運行も開始される例もあり[8]1991年には日本全国で30路線ほどの深夜急行バスが設定された[7]

しかし、行政側では運行に向けた音頭はとったものの、現実の運行はバス事業者の経営に依存するものであった[9]。このため、バブル景気の崩壊や不況[7]、さらに最終列車の延長なども行なわれた[7]ことから、深夜急行バスの利用者数は減少した[7]。深夜時間帯だけに人件費コストが無視できず[7]、経路変更や運行区間の見直しも行なわれたが、それでも半数以上の深夜急行バスが廃止・統合されることになった[7]

特徴

深夜バス

深夜バスの例(名古屋市営バス

運輸省では、深夜バスの運行を推進するにあたって事業者側へのインセンティブを与えるため、以下のような基準を設定している[2]

設定基準
午後11時以降の便を新設する場合に「深夜バス」扱いとすることが出来る。
免許
深夜バスはサービス基準が通常運賃のバスとは異なることから、道路運送法24条の2に定められている「貸切免許における乗合許可」を適用する。
運賃
利用者等と調整の上、通常のバス運賃より高く設定できる。

その後、免許については通常の乗合免許に変更されている[5]

運賃は、大都市圏においては概ね通常運賃の2倍として[5]、定期券を利用する場合は差額(通常運賃)を支払う方式が定着している[5]が、岩手県交通のように通常運賃より20円から70円程度高く設定したり[10]宇野バスのように運賃を1,000円均一に設定し[10]、定期券を利用の場合は通常運賃との差額を支払う方式にしている[10]事例もある。

深夜急行バス・深夜中距離バス

深夜急行バスの例(東急バス「ミッドナイトアロー」) 深夜中距離バスの例(関東バス)
深夜急行バスの例(東急バスミッドナイトアロー」)
深夜中距離バスの例(関東バス

運輸省において「終夜バス」構想が検討された時点では、通常運賃の数倍としてもよいという見解が出されており[6]、実際に運行されている深夜急行バスではタクシー運賃の3割から4割程度の運賃設定とされている[7]。都心部から概ね20km圏内までの路線を「深夜中距離バス」[7]、都心部から概ね30km以上の路線を「深夜急行バス」としている[7]

深夜急行バスに使用される車両は観光バス仕様の車両が使用される[7]。領収書発行機能を有する運賃箱自動車電話なども設置された[11]

タクシー業界への影響

深夜バスが限られた路線にしか運行されていない以上、タクシーの需要がなくなったわけではないが、深夜バスの運行によって特定の地区へ向かうタクシー利用者が大幅に減少した事例もあり[4]、タクシー事業者への影響も小さくない[4]

その一方で、深夜バスの整備と並行して、1973年以降は乗合タクシーの運行が認められるようになった[6]。タクシーは本来は1個の運送契約によって9人以下の旅客輸送を担う交通機関であり、乗合運送は本来は違法である[6]。しかし、1台ずつ同じ地区へ運行させる不合理性や、待ち時間が長くなるなどのケースもある[6]ことから、団地の配置や需要の形態、さらにバス路線網の整備状況を考慮した[6]上で、特別の許認可措置によって認められるようになったものである[6]

特徴的な深夜時間帯のバス運行事例

深夜帰宅バス(東京都交通局)

東京都交通局では、タクシー輸送力不足を背景に[10]1969年に銀座から荻窪や渋谷方面への深夜帰宅バスの運行を開始した[10]。4路線設定され、いずれも銀座を午前0時に発車するものであった[10]が、利用者層の偏りが著しく「ホステスバス」と呼ばれた[10]ほどで、一般利用者からの評価は低かった[10]。その後、タクシー輸送力の改善が図られたため、1974年に廃止されている[12]

早朝深夜ビジネスバス(宮城交通)

宮城交通では1974年に、上野駅発最終の特急列車の仙台駅到着を受けて[6]、仙台市近郊の4つの大規模団地を巡回するバスの運行を開始した[6]。各団地から仙台駅へ向かう早朝便も設定され、仙台駅では朝一番の上野駅行き特急列車に接続していた[13]。平均26人程度の利用者があった[6]が、利用者が減少した上に車掌乗務であったためコスト面での問題もあり[13]1978年10月に廃止された[13]

超深夜バス(横浜市交通局)

横浜市交通局では2005年2月より、横浜線の最終列車出発後に横浜駅西口を発車し、十日市場駅まで運行する「超深夜バス」の運行を開始している[14]。これは、各停留所に停車してゆく深夜バスであると同時に、最終列車出発後に都心部を出発して郊外へ向かうという深夜中距離バスの特徴も併せ持っていることが特徴である。当初は試行運行であった[14]が、同年6月から本格運行に移行している[14]

課題

歴史節でも記述したように、深夜バスでは乗務員に特別な手当を支払った上で採算性が確保できるかという問題があり[2]、一般的には採算ラインは1便で30人前後とされている[4]。しかし、現実には路線によっては採算割れしている路線も多い[4]

また、通常運賃のバスとの間隔が短かったり[6]、他の地域で通常運賃のバスが運行されているケース[6]においては、利用者からも疑問の声が出ている[6]。現実に、1980年代後半には通常運賃での最終バスを遅くまで延長するという機運もあり[6]、1988年時点では西日本鉄道が午後11時以降も通常運賃のバスを運行していた[6]ほか、千葉県平和交通では午前1時を過ぎて運行する通常運賃のバスを設定していた[6]などの事例がある。

脚注

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注釈

  1. ^ 1987年時点で、東京都内で運行される深夜バスは全事業者を合わせても約50系統であったが、神奈川県内においては神奈川中央交通だけで50系統を超える深夜バスを運行しており(『バス・ジャパン』通巻8号 p.43)、この時点の神奈川中央交通で運行する深夜バスは70系統102本に上った(『バス・ジャパン』通巻8号 p.47)。

出典

参考文献

書籍

  • 鈴木文彦『路線バスの現在・未来』グランプリ出版、2001年。ISBN 4876872171
  • バスジャパン・ハンドブックシリーズR・59 横浜市交通局』BJエディターズ、2006年。ISBN 4434072749

雑誌記事

  • 鈴木文彦「深夜バスの発展と現状」『バス・ジャパン』第8号、バス・ジャパン刊行会、1988年4月、 42-45頁。
  • 鈴木文彦「1989年のバス業界」『バス・ジャパン』第13号、BJエディターズ、1990年6月、 83-85頁。
  • 高橋俊哉「深夜バス ハナ金ウォッチング」『バス・ジャパン』第8号、バス・ジャパン刊行会、1988年4月、 46-48頁。