檜山丸 (初代)

檜山丸(ひやままる、Hiyama Maru)は、国鉄青函航路貨車航送船洞爺丸台風で失われたの貨車航送船の代替船として建造された檜山丸型の第1船であった。

青函航路で最初のディーゼル機関船である。同型船には空知丸があった。

この記事では檜山丸、空知丸について記述する。なお、ここでの檜山丸、空知丸は初代である。2代目は渡島丸を参照。

檜山丸(空知丸)
MS HIYAMA MARU 1.jpg
概歴
起工 1955年3月22日(1955年3月28日
進水 1955年7月8日(1955年7月4日
竣工 1955年9月1日(1955年9月5日
就航 1955年9月16日(1955年9月18日
運航終了 1976年7月5日(1976年2月27日
要目
船種 貨車航送船
総トン数 3,393.09t(3,428.27t)
全長 119.5m
垂線間長 111.0m
幅(型) 17.40m
深さ(型) 6.80m
満載喫水 4.70m
機関 単動自己逆転式舶用ディーゼル機関8気筒無気噴油2サイクル三菱神戸スルザー8TPD48  2台
出力 6,187hp(6,454hp)
最大速力 17.11kt(17.37kt)
航海速力 14.5kt
乗客定員
貨物積載量 貨車 43両
※注 ()内は空知丸

概要

洞爺丸事故により、洞爺丸北見丸日高丸十勝丸第十一青函丸の5隻が沈没した。このうちの3隻(洞爺丸・北見丸・第十一青函丸)は損傷が激しく修復不能であったため、急遽、貨車航送船2隻と車載客船1隻の建造が決定した。檜山丸と空知丸は北見丸・第十一青函丸の代替船として建造された貨車航送船である。

檜山丸型は洞爺丸事故を教訓として設計された。船尾の貨車積込開口部からの海水浸入対策として、当初、檜山丸では、船尾全幅3線分をカバーするもので、上下2枚の鋼鉄製扉を中央部でヒンジでつなぎ、ヒンジ部分が外側に突出しつつ折れ曲がり、上方へ開いてゆく構造の船尾扉を設置する予定であった。しかし、その後の模型実験の結果、車両甲板への排水口設置で安全性が確保できることが判明したため、結局、船尾扉は設置されず、車両甲板船尾両舷17mにわたり、浸入した水を素早く排出するための開口部(縦80cm横55cm)が片舷あたり20箇所づつ設けられた。

一方、空知丸では、船尾の3線を1線ずつカバーする鋼製上下式の風雨密の船尾扉が当初計画通り設置された。[1]

また、車両甲板下の船体は11枚の隔壁で12区画に区切られ、隣接する2区画が浸水しても沈まない構造とした。舵は2枚に増やされ、2基あるプロペラの直後に配置され、操船性能の向上を図った。

復原性向上のため、船体幅を翔鳳丸以来の車両渡船の15.85mから1.55m拡大し、17.4mとした。このため、従来船では係留位置において、船体中心線と可動橋中心線が一致していたが、本船では、船体中心線が可動橋中心線に対し14.8‰の角度で岸壁から反対側に振られる形となった[2]。なお、このような形での拡幅は、1953年建造の宇高航路車両渡船 第三宇高丸を嚆矢とし、以後建造の青函、宇高 両航路の全車両渡船に踏襲された。

主機関には、従来の蒸気タービンと比較して、操縦性が高く、機関室の天井に相当する車両甲板の開口部を少なくできて、水密性を向上できる、ディーゼル機関が採用され[3]、青函航路初のディーゼル船となった。ディーゼル化により排気筒スペースが縮小できたたことと、船体幅が拡大したため、第一青函丸以来の煙路を両舷側に振り分けていた形を、船体強度上も有利な船体中央部に通し、煙突は1本になった[4]

外観上の特徴として、甲板室の前面が従来の青函連絡船とは異なり、かつての関釜連絡船の7000総トン級客貨船 金剛丸 興安丸に似て、各層とも前方に丸みを持ち、一層ごと後退するスマートな形となり、煙突の大型1本化とともに、若干修正されつつも以後の青函連絡船に踏襲された。

甲板には軌道が4線敷設され、ワム車換算で43両の搭載が可能であった。

沿革

檜山丸は1955年(昭和30年)3月22日、新三菱重工業神戸造船所で起工し、同年9月1日に竣工。同年9月16日に青函航路に就航した。同型船の空知丸は1955年(昭和30年)3月28日、浦賀船渠で起工し、同年9月5日に竣工。同年9月18日に青函航路に就航した。

1966年(昭和41年)に東北本線奥羽本線が災害で不通になったさい、8月18日より空知丸が川崎 - 函館間を緊急物資輸送を行った。また、檜山丸も青森 - 函館間を臨時のカーフェリーとして民間のトラックを輸送した(8月22日)。

1967年(昭和42年)9月27日、室蘭本線豊浦駅 - 洞爺駅間が岩石崩落事故のため不通になった際、翌日から檜山丸・空知丸で青森 - 室蘭間で緊急貨物輸送を開始した。当初は室蘭に可動橋が無かったため、民間の埠頭(日本通運)からの貨物バラ積輸送であったが、10月12日に室蘭に仮設可動橋を設置、貨車航送を行った(10月20日まで)。

空知丸は1976年(昭和51年)2月27日に、檜山丸は同年7月5日に運航を終了。後に売却され解体された。

脚注

  1. ^ 古川達郎 連絡船ドックP63~66 船舶技術協会1966
  2. ^ 古川達郎 連絡船ドックp28 船舶技術協会1966
  3. ^ 山本煕 車両航送p290 日本鉄道技術協会1960
  4. ^ 古川達郎 鉄道連絡船100年の航跡p290 成山堂書店1988