町屋 (商家)

町屋の例(茨城県土浦市

町屋(まちや)とは、町人の住宅のことである[1]。つまり、農家に対し商業や工業を営むための都市住宅である。町家(まちや・ちょうか)ともいい、特に商いの場を兼ねた町屋は商家(しょうか)と呼ばれることもある。あるいは町屋の街並みをさし、商家の街並みは商家町ということもある。宿場における街並みは宿場町と呼ばれ、城下においては城下町と呼ばれる。

概説

歴史的商業地において商人、職人など町人が住み業を営むための建物で、武士が住む武家屋敷に対比され。街並みとしての町屋は表通りまたは横町に面して軒を連ねていた。一般に道路に対して間口が狭く、奥行が深い短冊型の敷地に軒を接して建つ。関西の都市では早くから町屋が普及、短冊型敷地や通り庭などを特徴とし、極端な短冊型の敷地に建てられた家屋は「うなぎの寝床」などと呼ばれ、玄関から部屋が並ぶように奥まで続いていた。京都や金沢などの大都市では特に奥行が深く、通り庭によって各室がつながれる構成になる。

歴史

江戸期の町屋の例(兵庫県伊丹市 1674年築)

中世、近世には平入の建物であることが多く、中世では通常、平屋で板葺き切妻屋根に土壁の家屋が建てられ、江戸初期には、建ちの低い2階(厨子二階〈つしにかい〉)を備え、袖卯建(そでうだつ)を上げた家屋が標準化し、瓦葺き、漆喰塗籠めの壁を持つ町屋は1600年代末に現れる[2]。厨子二階は、街道沿いに建てられた町屋の表に造られ、大名の往来を上から見下ろすことが失礼に当たるということから居間としてではなく物置として造り、使うことが許可されていた[3]。明治以降は、現在の家屋ほどの天井高の2階をもつ住宅が表通りでも建てられるようになり、三階建の町屋や看板建築も現れた。

今日、町屋が多く残る都市などで町屋を再評価する動きがあり、特に近年では老朽化した町屋を取り壊さずに修復・改装して、自宅や飲食店,土産物屋,宿泊施設などとして再利用するケースも増えている。

構造

通り庭の例

長屋との違いは、長屋が集合住宅であるのに対し、町屋が独立住宅であることである。それは規模の違いにも反映する。入口を入るとすぐに土間で、そこにせいぜい2部屋がついた長屋とは違い、町屋の間口は2間から3ほどであったものの、奥行は町屋の普及が関西よりやや低調だった江戸でも20間ぐらいは普通にあったといわれる[4]

表から奥まで「通し土間」という土間を通し、一方に部屋をほぼ一列に並べた間取りが標準的であった。敷地の中央に通り庭(坪庭〈つぼにわ〉)を置くことで、通気性と採光を向上させる一方で、そこに石や植物などを配した庭をつくり[5]、通りに面した「公」の空間と奥の「私」の空間を巧みに区分けすることにも成功している。

脚注

  1. ^ 町屋(『大辞泉』)
  2. ^ 太田博太郎『【カラー版】日本建築様式史』美術出版社 1999年
  3. ^ 三浦正幸著『城のつくり方図典』小学館 2005年
  4. ^ 東京都市史研究所編『比較考証 江戸東京古地図散歩』新人物往来社、1999年。
  5. ^ 梅原猛『京都発見〈2〉路地遊行』新潮社、1998年。

関連項目

外部リンク