知多鉄道デハ910形電車

モ900形

知多鉄道デハ910形電車(ちたてつどうデハ910がたでんしゃ)は、1931年(昭和6年)に知多鉄道が新製した特急形車両1943年(昭和18年)2月に知多鉄道は名古屋鉄道(名鉄)に吸収合併され、同時に本形式はモ910形と改称されている。なお、本形式の「910形」という形式番号は、製造年が皇紀2591年であったことに由来する。

本形式は名鉄の1500V区間用吊り掛け駆動車両のうち、手動進段制御器を搭載するHL車に属するが、後年機器振替えにより600V区間用AL車に改造され、モ900形と改称されている。

概要

1931年(昭和6年)4月に太田川 - 成岩間を開業させた知多鉄道が、その開業に際して新製したのが本形式である。デハ910 - 914・916 - 918の8両が一挙に新製され、製造は日本車輌製造で行われた。なお、起番を0とし、末尾5を欠番とするのはいずれも愛知電気鉄道(愛電)の伝統であり[1]、同社の系列会社であった知多鉄道においてもそれは踏襲された。

車両概要

車体外観は親会社である愛電の主力車両であったデハ3300形に類似しているが、本形式の車体長は16mとデハ3300形よりも1.5m短くされたことと、浅めの屋根も相まって、昭和初期に製造された車両としては軽快感のある外観とされた。類似の車体を持つものには三河鉄道デ300形伊勢電気鉄道モハニ231形などがあり、いずれも同時期に日車で製造されたものであった。

その他、正面貫通型の両運転台構造はデハ3300形を踏襲しており、小手荷物積卸の便を考慮して運転台右側の乗務員扉が広幅の引き扉となっていることも同様である。なお、客用扉部ステップは当初から設置されていない。窓配置はd2D10D2d(d:乗務員扉, D:客用扉)でデハ3300形と同一であるが、車体長の相違から側窓幅・側窓間柱幅が10 - 20mmほど縮小され、各部吹寄せ寸法も変更されている。車内はセミクロスシート仕様で、扉間に8脚のボックスシートが装備されていた。

床下機器については電空単位スイッチ式手動加速制御器、ウェスティングハウス製WH556-J6型主電動機[2]、日車製釣り合い梁式D16型台車を搭載し、これらの装備はデハ3300形と同一である。また、当初はパンタグラフを2基装備していたことが特徴であった。車体塗装については愛電の標準塗装であったマルーン一色塗りとされている。

その後の経緯

名鉄合併後から戦後にかけて

知多鉄道においては急行・特急[3]といった優等列車は神宮前 - 知多半田間において愛電と相互直通運転を行っており、本形式も神宮前まで乗り入れていた。その後、1943年(昭和18年)に知多鉄道が名古屋鉄道へ吸収合併されたことに伴い本形式はモ910形と改称、旧デハ910はモ915に改番されてモ911 - 918に車番が再編された。また、車体塗装は検査入場の際に順次ダークグリーン一色に塗り替えられ、その他車内のオールロングシート化、パンタグラフの1基化等が施工されている。

合併後も主に常滑線系統で使用されることの多かった本形式であったが、1948年(昭和23年)8月に発生した太田川車庫の火災によりモ914(初代)が車体を焼失し、その主要機器を流用してモ3750形が製造された。1951年(昭和26年)にモ918がモ914(2代)に改番されて空番を埋め、以降911 - 917の全7両の陣容となった。

その後1955年(昭和30年)から1958年(昭和33年)にかけて全車豊橋寄りの運転室機器を撤去されて片運転台化され、翌1959年(昭和34年)には豊橋寄りの運転台そのものを完全に撤去した[4]。この状態で従来型HL車と2連 - 3連を組み、主に名古屋本線等の幹線系統における普通列車運用に就いていた。

床下機器供出に伴う変遷・モ900形へ改称

半鋼製HL車の3730系への更新進捗に伴い、本形式もその対象となって1964年(昭和39年)に床下機器を同系列に供出し、代わりに廃車発生品のブリル27MCB2型台車を装備してク2330形2331 - 2337と改称・改番された。こうして1500V区間用HL制御の制御車となった本形式は、機器供出未施工であったモ3300形等と編成を組んで使用されたが、3730系の増備に伴いその後1年足らずの翌1965年(昭和40年)から1966年(昭和41年)にかけて、再び同系列に台車等を供出することとなった。

再びその車体の処遇が宙に浮くこととなった本形式であったが、折りしも瀬戸線において老朽化した木造車モ600形(初代)の代替が計画されており、同形式の床下機器を流用して架線電圧600V区間用AL制御の電動車に転用することが決定した。形式はモ900形901 - 906[5]と改称・改番され、ドアエンジンを撤去し手動扉化の上、順次瀬戸線に投入された。なお、ク2337は他車よりも半年ほど遅れて1966年(昭和41年)2月に瀬戸線へ転入し、入線に際しては以下のように車番の振替えが行われている。

改番一覧
ク2331 → モ901(初代) → モ907(2代)
ク2332 → モ902(初代) → モ906(2代)
ク2333 → モ903(初代) → モ905(2代)
ク2334 → モ904
ク2335 → モ905(初代) → モ903(2代)
ク2336 → モ906(初代) → モ902(2代)
ク2337 → モ901(2代)

特急用車両への改装

1966年(昭和41年)3月より瀬戸線に特急列車[6]を運行することになり、モ901 - 903とク2300形2301 - 2303からなる2両編成3本が特急用車両に選ばれ、以下の改造が施工された。

  • 扉間に転換クロスシートを装備・セミクロスシート化
  • 客用扉の自動扉化
  • 車体塗装をダークグリーンからスカーレットへ変更
  • 7000系パノラマカーに装備されたものと同形状の逆さ富士型行先・種別表示板を取り付け
  • ミュージックホーン新設

同時にモ904は塗装変更のみ行われ[7]、特急予備車として使用された。

この特急列車は好評を博し、増発のため1968年(昭和43年)3月にはモ904 - 906の3両が追加改造され、モ901 - 903と同仕様に改装された[8]。その後特急用車両となった6両に対しては1968年(昭和43年)7月から1969年(昭和44年)4月にかけて窓下に白帯塗装を追加している。なお、これら格上げの対象から外れたモ907については客用扉の自動扉化のみ施工されたが、1972年(昭和47年)にロングシート仕様のまま車体塗装のみスカーレットに白帯とし、他車と外観を揃えている[9]

その後、モ901・904 - 907は正面窓がアルミサッシとなり[10]、その他正面貫通扉および客用扉が鋼製化された車両も存在したが、モ902・903の2両はそのような改造を受けることなく、外観上比較的原形を保ったまま使用されていた。

廃車・譲渡

瀬戸線の主力形式として使用された本形式であったが、1978年(昭和53年)の瀬戸線の架線電圧1500V昇圧に伴い淘汰の方針が決まり、同年3月12日には鉄道友の会名古屋支部主催の「600V車惜別行事」が行われた[11]。そして昇圧を前日に控えた同月18日の運用を最後に全車廃車となった。

廃車後、モ901・902・907の3両が福井鉄道へ、モ903 - 906の4両が北陸鉄道へそれぞれ譲渡された。福井鉄道譲渡車は140形の一部(141-2・142-2・143-2)となり、2006年平成18年)まで在籍した。北陸鉄道譲渡車はモハ3740形3741 - 3744となり、同社石川線の主力車両として1990年(平成2年)まで使用された。

脚注

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  1. ^ 1919年(大正8年)10月に発生した正面衝突事故の当該車両がいずれも末尾5番であったことから、それ以降の新製車については末尾5を欠番としたものである。
  2. ^ 端子電圧750V時定格出力75kW/定格回転数985rpm, 歯車比3.05
  3. ^ 日中一往復のみ運転。神宮前 - 知多半田間を27分で結んだ。
  4. ^ 乗務員扉は存置されたため側面外観上の変化はなかった。
  5. ^ ク2337のみ遅れて転属したためである。同車の転属に伴い後述のように車番の振替えを伴う改番が行われた。
  6. ^ 特急料金は不要であった。運行は1977年(昭和52年)2月まで行われ、同月のダイヤ改正で停車駅はそのままに急行へ種別変更された。
  7. ^ 編成相手であったク2320形2324も同様に塗装変更が行われ、1967年(昭和42年)7月には同車のみ車内のセミクロスシート化を施工した。
  8. ^ モ905・906の編成相手であったク2320形2322・2323はロングシート仕様のままであった。
  9. ^ 編成相手のク2320形2321についても同様の改造が施工された。
  10. ^ 側面窓は木製サッシのままであった。
  11. ^ モ903-ク2303の編成が使用された。

関連項目