福山そごう

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福山そごう
Fukuyama SOGO
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店舗概要
所在地 720-0067
広島県福山市西町1-1-1
座標 北緯34度29分16.3秒 東経133度21分29秒 / 北緯34.487861度 東経133.35806度 / 34.487861; 133.35806座標: 北緯34度29分16.3秒 東経133度21分29秒 / 北緯34.487861度 東経133.35806度 / 34.487861; 133.35806
開業日 1992年(平成4年)4月29日
閉業日 2000年(平成12年)12月25日
施設所有者 福山そごう
施設管理者 福山そごう
設計者 鈴木工務店
施工者 鈴木工務店
敷地面積 11,392 m²[3]
延床面積 72,635.20(駐車場:9,129.50㎡を含む) m²[3]
商業施設面積 34,400 m²[3]
駐車台数 1800[2]
商圏人口 100万人[1]
最寄駅 福山駅
SOGO
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地図

福山そごう(ふくやまそごう)は、広島県福山市西町にあったそごうの店舗およびその運営会社。当時中四国地方で最大面積の店舗として1992年(平成4年)4月29日に開業するが[4]、過大な初期投資とバブル崩壊により一度も黒字化することがなく[5]、そごう破綻に伴う処理により、僅か8年8か月で閉店。運営会社も経営破綻した。福山には別に伏見町に2店舗目となる伏見町そごうの計画もあった。本頁では伏見町そごうを含めた伏見町再開発計画についても説明する。

福山そごう

背景

福山市は人口37万人(当時)の備後経済圏の中心都市であり周辺地域を合わせると「100万人経済圏」と言われた[1]福山駅は1日で4万人の利用があり[3]、地域拠点都市であった。ただし、百貨店については福山駅前に位置する天満屋福山店(売場面積 2万7222平方メートル、地上9階・地下1階)のみであり、地方中核都市では珍しい百貨店一店状態が続き[1]、百貨店の無風地帯と言われていた[1]。1965年の日本鋼管福山製鉄所の誘致をきっかけに福山市の工業化は進んだものの、商業の活性化は立ち遅れていた[1]。背景には、地元商店街の結束が強く、大規模店舗の進出計画が明らかにされるたびに反対運動を展開し、それを阻んできた歴史があった[6]。結果、福山駅前の商業化は大きく立ち遅れ、福山駅周辺は老朽化した個人商店や飲食店などの雑居ビルが立ち並んだ状態となり[6]、それら地域の再開発は福山市議会や商工会議所の長年の懸念事項になっていた。

出店計画

豪華なエントランス(閉店後の2019年撮影)
玄関(2019年)既にRiM-fに変わった後の撮影

そごうの出店は、福山商工会議所の誘致活動と「100万人経済圏」を意識したそごうの思惑が一致した結果、計画が具現化していった[1]。1989年、そごうは福山商工会議所の商業活動調整協議会へ大規模小売店舗法三条申諸(いわゆる出店届)を提出[1]。福山商工会議所は、事前調整により店舗総面積3万4400平方メートル(当時の計画)に対し、うち10%は常設売場とせず催し場会場とする条件を付与してこれを承認した[1]。続いてそごうは大規模小売店舗法五条届けを提出し、これも商業活動調整協議会により審議が行われ、全体計画が正式に確定した[1]。1988年9月3日[7]、株式会社「福山そごう」が資本金1億円で設立され[8]、初代社長として水島廣雄が就任する[4]。1990年当時の計画では、地下2階、地上8階建て(延べ6万4000平方メートル)の駐車場付きビルを建設する予定であった[1](後に9階建てに変更)。地元商店街は、死活問題だとして誘致反対運動を行ったが、そごうが地元商店街への対策事業を行うことで運動は鎮静化した。一方、天満屋はそごうの出店を意識して、1990年3月に福山に2店舗目となる都市型店舗の出店届を提出した[1][9]。敷地は元々、山陽染工の工場があった場所で、敷地1万1400平方メートルの遊休地であった[1][6]

開店

1992年 (平成4年) 4月29日に株式会社福山そごうが運営する「福山そごう」として開業[2]。そごうグループ32番目の店舗であり、売り場面積はグループ第4位の面積であった[10][2]。土地は山陽染工の所有のまま「福山そごう」が建物を建築する形でオープンした。地上9階・地下2階の店舗面積は3万4400平方メートル[8][2]。8階には3000平方メートルのレストラン街がおかれ[11]、11店舗の飲食店が入居した[10]。書店の在庫書籍は30万冊であった[11]。地下1階の生鮮食料品売り場は、5500平方メートルの面積があり、周辺のスーパーなどを含めても最も広い面積であった[4]。書籍、音響、かばん、文具を地下2階、子供用品、玩具を4階に分離して配置したもの特色であった[4]。1994年に広島そごう新館が開店して増床されるまでは、中国・四国地方で最大の百貨店であり、売り場面積は天満屋福山店の1.5倍の規模だった[11]。高級ブランドの舶来ブティック街が設けられた他[2]、これまでグループ各店にはなかった「ミュージアム仕様」で建設された[2]。建設費を含めた初期投資金額は400-450億円にもなった[12]。販売方針は地域密着型の商品政策が採用され[4]、衣料品や装飾品はファッション関係は値ごろ価格帯よりワンランク上の商品が揃えられた[4]。福山市を中心とする半径15キロメートルエリアの5市4町(68万6000人、2万1500百世帯)を第1次商圏に設定し[4]、顧客層としては人口割合で最も高くかつ個人消費意欲も高い35-50歳をターゲットにしつつ、50歳以上のシルバー層も視野に入れた販売方針とされた[4]。開店時の店長は、「福山そごう」の常務である小林孝が就任した[10]。定休日は火曜日に設定された[10]。売り場のコンセプトは「夢発信、素敵が集うミュージアム」と定められた[10]。オープン時の有名海外ブランドの取り扱いは16ブランドであった[10]。建物外観には大理石が多用され[10]、「光のオブジェ」や「せせらぎ公園」といった意匠が店舗の内外に設けられた。地下1階から2階までは巨大な吹き抜けが設けられた[10]。4月中旬からは屋上の全天候型ビアガーデン(700席)が営業した[13]。他のそごう店舗同様に建物正面玄関の上方には、大型のセイコー製のからくり時計(世界の人形時計)が設置されていた(外部リンクに動作時の動画が提示してある)。

駅前からそごうまでの300メートルには無料送迎バスが運行され、朝10時から夜7時まで10分間隔で中型バスを走らせた。1日1000人がバスを利用したが、年間1200万円の費用がかかる上に[12]、そごうで買い物をしない人の利用も目立った[12]。駐車場は館内及び周辺に合計1800台が用意された[2](出典によっては3000台とも[11])。館内には、建物北側にあるループで車を導き、3-6階および屋上に289台の駐車場を設けた[3]。第2駐車場として本館西側に鉄骨7階建ての自走式立体駐車場が建てられ(敷地面積1,447.10㎡、延べ床面積6,781.20㎡)、ここに293台を駐車出来た[3]。更に第3駐車場として鉄骨8階建ての自走式立体駐車場を本館南東側に設け(敷地面積2,665.78㎡、延べ床面積15,866.08㎡)、ここに636台を駐車出来た[3]

ギャラリー

フロア構成 

  • 9階(一部屋上階) - 屋上ビアガーデン・飲食店、ペットショップ、エステティックサロン[10]
  • 8階 - 味の専門店街(レストラン街:11店舗)[10]
  • 7階 - 6-7階には家具やインテリア売り場があった模様(詳細不明)[8]
  • 6階 -
  • 5階 - 紳士服売り場[14]
  • 4階 - 子供服売り場、子供用品、玩具[4]
  • 3階 - ミセス向け衣料品売り場[15]
  • 2階 - 女性ヤングファッション[14]
  • 1階 - 舶来ブティック街、女性キャリアファッション[2][14]
  • B1階 - 生鮮食料品売り場、ギフト売り場[4]
  • B2階 - フードコート、書籍、音響、かばん、文具[4]

出店後 

1997年まで

オープン初日には15万人の買い物客が詰め掛けたが[16]、開業直後より売り上げで苦戦をする[11]。初年度となる1992年度は350億円の売り上げ目標を設定し[10]、将来的には600億円規模の売り上げを想定していたが[10]、200億円台の売り上げが続いた。天満屋福山店と比較して、売り場面積で1.5倍の規模であったが、売り上げでは天満屋に劣る状態が続いた[11]。1996年には休業して館内の改装を行い、9月13日に再び開店した[17]。1997年、そごう神戸店の副店長だった三井誠三が「福山そごう」の店長および副社長として就任する[11]。三井は広島県の出身で、1957年広島県立尾道商業高等学校卒業、同年にそごうに入社し[18]、1987年取締役、1992年取締役神戸店副店長に就任していた[11]。三井は着任早々に売り場の改革に取り組み、30以上のブランドを新規に導入するなど販売体制を強化した[19]。また地下1階の吹き抜け部分にあったパーラー(大理石を使った豪華な造りだった)を、顧客の動線の障害となり売り上げに対する貢献も低いとしてあっさり撤去して売り場に転換した[19]。1997年度の売上高は251億4000万円で(出典によっては252億5900万円[20])、従業員は派遣・パートを含め約1300人だった[19]。1997年は、バブル崩壊後の景気の冷え込みが一層厳しく、売り上げは前年度比1%減となった[19]。天満屋はそごうを僅かに上回る256億円5200万円を売り上げたが、前年比3.7%減であった[20]。駅から「福山そごう」までの市道は1997年にヨーロッパ風の意匠で再整備され「そごう通り」と命名された[12]

1998年

開業5年目の1998年2月になってようやく天満屋福山店に売り上げで肩を並べる見通しがついたとされる[11]。開店10年目の2000年度に、売上300億円達成および経常利益段階での黒字化が目標とされた[11]。1998年4月からは、広島店や呉店にはない、来店するだけで10ポイント加算されるポイントカードを導入した[19]。1998年は、天満屋と毎月抜きつ抜かれつの売り上げ競争となった[20]。7-8-9月は連続して「そごう」がリードしたが、10月は天満屋が主力となる衣料品以外の部門での販売を伸ばして再び「そごう」を抜いた[20]。双方とも歳末商戦に勝負をかけ、そごうでは11月20日地下1階の食品フロアに、約3000点の贈答品を揃えたギフトセンターを開設して、お歳暮商戦に臨んだ[20]。お歳暮やお中元の販売会場は上層階というのが常識であったが、贈答ギフトは大半が食料品であるから、地階の食料品売り場に移した方が顧客に親切であるとして、三井の判断で地階に移動されたものであった[18]。全国一律200円の送料で発送できる商品を、全国29の店舗(当時)を活用して、1997年より400点多い1200商品に拡充するなどの工夫もなされた[20]。福山では取り扱いが無かった東京・青山や兵庫・芦屋などの有名菓子店などを取りそろえるとともに、福山の特産品の保命酒や鯛のスモークハムなど「鞆の浦」関連ギフトの販売にも力が入れられた[20]。バブル崩壊によって法人需要が減少する中で、年末ギフトの売り上げ目標は前年より5%増に設定された[20]。1998年12月には、バブル崩壊後で冷え込む消費への対応策として、家庭で死蔵されているテレフォンカードを商品券と交換するサービスを実施した[21]。2階の若者向け衣料品は改装を行った効果が表れ、売り上げが8%増加した[15]

1999年

「福山そごう」または「そごう」グループ全体の苦戦は、当時既に広く知られていた[8]。福山市民の中には「福山そごう」が閉店してホテルに変わるのではないか、閉店しないまでも規模を縮小して営業するのではないかという噂もあったが[8]、店長の三井はそれらをありえないと話し、広島そごうとの合併なども否定した[8]。広島そごうと合併すれば、納税は広島市に行うことになり、福山市民への還元が出来なくなることになり、「福山そごう」の理念にも反すると、その理由を説明した[8]。 1999年2月期の売上高は242億6000万円で、前期比3.5%の減少であった[8]。天満屋福山店は244億円(同前期比4.8%減)だった[15]。サービスなどを除いた商品売上高では、そごうが逆に2億円強上回ったが、主力の衣料品と食料品では天満屋が依然優勢であった[15]。開店して7年が経過し、豪華な建物と豊富なブランドぞろえが市民に認知されたためであるが[15]、衣料品と食料品分野の強化に注力することになった[15]。3月からは3階のミセス向け衣料品売り場で、キャリア商品を増やした[15]。地階の食商品売り場は生鮮食品コーナーを全面改装し、さらに高級品を充実させた[15]。外商部門も強化し、春から法人担当部署を独立させて3グループ構成にした[15]

1999年3月27日から福山市で配布された地域振興券を巡っては、地元商店街32店舗との初めての共同イベント「トクトクキャンペーン」が実施された[22]。地域振興券を使用して商品を購入すると、1万円分ごとに抽選券1枚(1,000円分ごとに補助券1枚)が手渡された[22]。抽選はそごう1階正面入り口の「からくり時計」があるピロティで、特賞の「二泊三日の旅行(東京ディズニーランド、沖縄、北海道の中から選択)をペアで招待」7本や、一等のビデオデッキ30本、2等のホットプレート200本など、5等まで空くじを設けずクジ引きが行われた[22]。賞品総額約500万円だった[22]。1999年9月23日から、女性従業員の秋冬制服が一新された。百貨店の顔となる1階インフォメーション係用は2年ぶりの変更、それ以外の一般用は4年ぶりの変更であった[23]。インフォメーション係用制服は、クリーミーホワイト色のスーツで、明るさと華やかさを求めた明るい基調にして、フロントの花柄ウールレースをワンポイントとしたクラシックで高級感のあるデザインだった[23]。一般用制服は雰囲気を一新し、タイトでシャープな現代的デザインのグレーのスーツが採用された[23]

1999年にオープンしたポートプラザ日化

1999年4月には天満屋ハピータウンイトーヨーカドーが入居するポートプラザ日化(売り場面積3万6499平方メートル)がオープンし、福山市中心部での顧客の争奪戦がより激化した[22]。店長の三井は「ポートプラザ」は量販店であり直接のライバルではなく、当店のライバルはやはり天満屋であると話したが[15]、その影響は大きく、食料品や家庭用品、子ども服など日常生活に直結した分野での売り上げが1998年と比較して10-15%ダウンした[8]。これに対して、三井は「福山そごう」の特色である高級ブランドの多数品揃えを売りにして、百貨店の原点に立ち戻って高級品中心の販売で収益を上げる方針としている[8][14]

5月19日、三井は「福山そごう」の社長に就任する。取締役会で、水島廣雄そごう会長から打診されたという[18]。当時「福山そごう」はグループの中では黒字化の目前の「対策強化店」に指定されていた[18]。1996年からは減価償却前では黒字化を達成していたが、450億円の初期投資による減価償却費が重くのしかかり、最終決算では赤字続きであった[18]。、三井は「キャッシュフローもまずまず。あと3年ぐらいで経常黒字に転換したい」と、今後の目標について述べた[18]

6月10日は店舗の休業日であったが、男性社員150人を動員して福山市内の住宅1万戸を戸別訪問し、中元用のギフトのセールス活動を行った[24]。これは社内では「10000軒ドアコールキャンペーン」と呼ばれ、1992年(平成4年)4月の開店直前に実施して以来、開店後は初めて実施したものであった[24]。「ポートプラザ日化」オープンの危機感の表れだとされ夏の中元商戦で先手を打つ狙いがあった[24]。6月10日の朝には、正面玄関で出発式があり、三井社長が「中元、歳暮は百貨店にとって一番大事な商戦。お客さまあってのそごう、という感謝の気持ちを忘れることなく、一日頑張ってほしい」と社員を激励した[24]

7月より、収益性改善のためにそごうグループの全国の店舗を4つのブロックに分割し、基幹店を中心とした仕入れや買い付けをする体制に移行した[8]。9月1日に中国・九州の6社を統括する広島ブロック本部が発足した。以後は基幹店の「広島そごう」を中心に一括仕入れを行いコスト削減に努めることになった[8]

8月20日には、1-3階の女性ファッションフロアを中心に、25の新ブランドを導入してリニューアルを行った[8]。リニューアルの目玉は、1階に約220平方メートルのスペースを取って導入した「ICBリラックス」であった[14]。2階はヤングファッションを強化し、「メルローズ」「iiMKピュール」など4ブランドを新規導入[14]。3階にもミセス向けの「コース」「ソロプラス」など5ブランドが加わった[14]。4階の子供服売り場には、「ブルークロス」「らでぃっしゅぼーや」が加わり、5階の紳士服売り場には「マージ」「バルバス」「五大陸」の3ブランドを新規導入したのに加え[14]、「バーバリー」のコーナーを従来の2倍の約100平方メートルに拡大し、品ぞろえも充実された[14]。10月以降には4階以上のフロアの紳士、子ども服や家具などの売り場もさらに大きく変更する予定であった[8]。売れ上げの悪い商品は大胆に整理され、生まれた売り場スペースには今後の販売が期待できる商品が積極的に導入された[8]。これらは、当時社内では「圧縮付加」という合言葉で呼ばれた[8]。リストラも推し進められ、この頃の従業員はパートも含めて500人に減っていた[8]

1999年10月には備後地区最大規模となる100円ショップをオープンしている[25]。ブランドを中心に高級志向で販売を行う「そごう」に100円ショップは合わないイメージであるが、この時期他店舗でも「100円ショップ」が相次いで導入されている。

閉店

2000年 (平成12年) 7月12日、株式会社そごうが民事再生法の適用を申請し事実上倒産する。その前日の7月11日、全国のそごう店舗の代表者が東京に集められ、日付が変わるまで今後の対応が協議された[5]。その結果、「福山そごう」も民事再生法に基づく再生手続き申請をすることになった[5]。福山そごう単独の意見ではなく、そごうグループ全体の意向があったという[5]。そごうのメインバックは日本興業銀行日本長期信用銀行(現:新生銀行)であったが、日本長期信用銀行が紆余曲折を経て1998年に破綻し、日本長期信用銀行のそごうの債権はリップルウッドに売却された。この譲渡された債券は、譲渡後3年間に2割以上の損失があると認定された場合に、融資時の金額までの損失を預金保険機構が補填するという瑕疵担保条項を適応させることが条件となってた[26]。そのため、そごう破綻に伴う債権処理については、金融再生委員会預金保険機構が関連して、これら不良債権に対して税金で補填を行うことになったが、このことをマスコミが大きく報道し、政治問題化となった[27]。自主再建とせずに民事再生手続とすることで、負債処理に費やされる公金の流れが透明化しやすいという政治的な判断もあったとされる[5]。判断が遅れれば、他のグループ企業負債処理にも悪影響が出ることも懸念された[5]

7月12-13日で、全社員への説明会が開催された[5]。説明会では、自主再建だった方針が民事再生法に基づく再生手続きを申請する方針になった経緯が説明されたが、混乱などは無かったとされる[5]

7月13日、そごうグループの民事再生法適用申請から一夜あけ、「福山そごう」では通常通り営業が行われたが、入り口のドアなどに「お客様へ」と題した文書を掲載した[28]。来客者には、カードや商品券が通常通り使え、営業実態に変化がないことが説明された[28]。各テナントには、幹部が足を運び事情説明に追われた[28]

7月14日、福山そごうの社長に就任していた三井は、業務の継続に向けて努力する意向を明らかにしたが、「福山そごう」の売り上げは、新規にオープンした他店との競合や不景気の影響で、4期連続の減収という厳しい状況であった[5]。オープン以来、一度も黒字化したことはなく赤字続きであったが、オープン時の初期投資の減価償却が過大であるための赤字であり、営業単体でみると黒字であった[5]

7月26日、東京地裁で「福山そごう」の民事再生手続が開始された。その結果、「福山そごう」は収益性が低く、また固定費や借入金も過大と判断され、今後営業を継続しても経営内容を改善することは難しいとされ、民事再生手続の廃止決定を経て破産宣告を受ける。これにより「福山そごう」の閉店が決定する。

2000年10月25日、「福山そごう」の閉店が発表された[12]。当時の店長は閉店の理由として「バブル崩壊の影響が大きすぎた」と説明した[12]。翌日より得意客向けのセールが始まり、閉店までの間賑わいが続いた[12]。同年12月25日に閉店した。株式会社「福山そごう」の負債は742億円であった[29]。オープンから8年8か月という短い営業であった[30]。岡山に本社のあるトマト銀行は、「福山そごう」へ12億8600万円を貸し付けており、それらが回収不能になることが懸念された[31]

その後

2002年、福山市が債権者より「福山そごう」のビルを買い取った[32][33]。2003年、閉店から2年4か月後に「福山ロッツ」として再オープンする[34][33]。「福山ロッツ」は「福山そごう」のライバルだった天満屋が10年契約で福山市からビルを借り受けて運営したが、業績不振によりテナントが次々と撤退して赤字経営となり、10年契約が切れる2013年 (平成25年) 4月24日に閉店した[35]。その後は、大和情報サービスRiM-fとして営業しているが、やはり同様にテナントの撤退が相次ぎ、経営的に成功しているとは言いづらい[36]。空き空間に福山市の公共施設が多数入居しているが、それでも空きテナントを埋められない状況が続いている[33]

2019年、建築から25年以上が経過し各部の老朽化が問題となっている[32][36]。RiM-fとしての営業成績も芳しくなく、ビル運営が困難になっていた[36]。福山市では更地化して売却するプランを含めて対応策を検討している[36][33][32]

アクセス

伏見町再開発計画

「福山そごう」の他に、福山駅前に2店舗目となる「伏見町そごう」と呼ばれる出店計画があった。

背景

伏見町の様子(2019年)

福山市駅南口の東側に位置する伏見町は福山大空襲の被害からいち早く立ち直った商業地区であったが、小型の木造建築が密集し道も狭く、数度の火災も起き、1970年代より再開発の議論が続けられていた[37]。元々は、更に南に位置する元町と一体で再開発が検討されていたが、元町には天満屋福山店が建てられ一足先に再開発を終えた。地権者らによって伏見町市街地再開発準備組合が開設され、大林組大成建設清水建設といった大手ゼネコンらによって様々なプランが提示されていたが、遅々として計画が進行していなかった[38]。様々なプランが検討されたが地権者の同意問題や資金不足が露見して頓挫することが多かった。1984年には百貨店が入居する12階建てビルにホールなどを併設するプランが検討されていた[38]。1984年末には13軒を全半焼する大火事があり、これによって地区住民の再開発への意識がまとまったとされる[37]。この時点でも約200店舗の商店が伏見町で営業していた[37]。1988年に600億円を投じて地下3階・地上18階の複合施設を作り、図書館やホール、住宅、デパート、情報センターなどが入居するプランとなっていた[39]

そごうの参加

キーテナントとしては、4つの企業から申し出があった(天満屋西武そごう近鉄)が、最も出店に意欲的であった「そごう」が選ばれた(つまりそごうは福山駅南口で2店舗体制を敷く予定だった)[6]。1987年、そごうとの最初の出店の調印が行われる[40]。1991年、伏見町市街地再開発準備組合と同居する形でそごうは開設準備室を設けた[6]。1993年(平成5年)の着工を目標に、JR福山駅南口の東側の伏見町の面積2.6ヘクタールの老朽化した民家や商店を撤去し、地下3階・地上24階建ての2棟の高層ツインビルを中心とした総面積17万5000平方メートルの大規模複合ビルを建設する計画であった[6][41]。大型専門店や美術館などの文化施設、スポーツ施設、ホテル、マンションの入居が見込まれていた[6]。1990年(平成2年)1月末、伏見町再開発準備組合と「福山そごう」が出店覚書に調印した[6]。平成7年の施設完成の予定であったが[6]、1994年にそごう側の要望で計画が大きく変更される。そごうが入居するデパート部分の建物をのちに建築し、その他の部分を先に建築する案も検討されたが、そごうの出店の準備が整わないために1997年にそごうとの出店合意を解消することになった[40]。そごうには違約金5億円を支払う義務があったが、納付されることはなかった[12]。そごうの翻意によって計画は白紙に戻っただけなく[42]、既に「福山そごう」や「広島そごう」によって伏見町の土地の買収が進んでいたこともあり、逆に再開発計画の練り直しに混乱が生じることになった[12]。伏見町市街地再開発準備組合は建築コンサルタントや学識経験者から案を募り、2000年6月を目途に新しい試案をまとめることにした[42]

伏見町再開発準備組合の解散

アイネスフクヤマ
解体されることになったキャスパ

「伏見町そごう」をキーテナントとした再開発計画が破綻したのちも、伏見町を含めた駅前の再開発は福山市の懸念事項であり続けている。2004年5月、福山駅南口付近一帯が、都市再生特別措置法に基づく緊急整備地域に指定される[43]

2005年には五洋建設アーバンコーポレイションJFE都市開発などの5社の共同事業として380億円を投じてマンションが中心の地上40階建て高層ビルと7階建ての商業ビルを建設する案をまとめ、2010年までに完成する予定とした[44]。2005年9月26日に当時の羽田皓市長や福山商工会議所会頭ら100人が参加して協定書調印式が執り行われた[44]。この計画は着工直前の段階にまで話が進んだが、アーバンコーポレイションが2009年1月に撤退を表明し直後に経営破綻してしまう。共同開発社だったJFE都市開発も直ちに事業から撤退し、またも再開発計画は空中分解する。

一方、福山市東桜町においては、1980年代から再開発の議論が忍耐強く続けられ、東桜町第1種市街地再開発事業により繊維ビルを中心とした老朽化した建物が一掃され、2011年に「アイネスフクヤマ」が建設される。この頃には、コンサルタントや五洋建設などと、地上15階建てのマンションや高齢者住宅、広場、駐車場棟、5階建てのスーパーや映画館が入る商業施設、ホテル棟などを備えた案が検討されていた。総工費は84億円に縮小され、2016年後の完成を目指して検討が行われていたが[45]、この案は採算性が疑問視され頓挫する[46]。開業に漕ぎつけた「アイネスフクヤマ」も、予定した医療モールが充実せず[47][48]、テナントも集客に悩み短期間で入れ替わるなど盛業とは言い難い様子で[48]、福山駅前で賑わっているのは駅直結のサンステーションテラス福山だけであった。2012年には駅前の商業ビルキャスパも閉店し、結局更地化されホテルなどが建設される方針になるなど[49]、福山駅前での新規商業ビルの建築自体に疑問符が付く状況となった。マンションとするにも供給過剰を懸念する声もあった。2016年には、とうとう伏見町再開発準備組合が解散してしまう[50]。伏見町再開発準備組合の活動は30年以上に及んだが、目的を達成することは出来なかった。

伏見町の坪単価はピークだった1991年には坪520万円だったものが、2017年には48.5万円と1/10以下に下落した[51]。福山市では2016年に福山駅前再生推進室を設置し、2017年「福山駅前再生ビジョン」を作成して現状調査を行っているが[3]、具体的な策は提示されていない[3][51]

関連項目

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l 福山そごう、出店決まる-無風地帯に終止符 1990年06月27日 日刊工業新聞 31頁(全688字)
  2. ^ a b c d e f g h 福山そごう、店舗概要を発表。規模はグループ4番目 1991年12月27日 流通サービス新聞 10頁 (全241字)
  3. ^ a b c d e f g h i 株式会社アフタヌーンソサエティ 福山駅周辺の公共大型複合施設等のリノベーションによる官民連携一体的再生手法検討調査 報告書 2019年9月21日閲覧
  4. ^ a b c d e f g h i j k 福山そごう、29日オープン。中・四国最大の百貨店、売り場3万4400平方メートル 1992年04月07日 流通サービス新聞 10頁 (全428字)
  5. ^ a b c d e f g h i j 福山そごう・三井社長に聞く 社員一丸で再建目指す(広島県) 中国新聞 2000年07月14日 中国朝刊 東A 写有 (全669字)
  6. ^ a b c d e f g h i 動き出したJR福山駅前再開発-24階建てビルに専門店やホテル。核は福山そごう 1991年01月18日 流通サービス新聞 17頁 写図有 (全827字)
  7. ^ そごう さらに壮大なる未来へストアーズ社 394頁
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q インタビュー 福山そごう社長 三井誠三(みつい・せいぞう)氏 ブロック体制移行で経営どう変化 縮小・合併は論外 福山店らしさ追求 1999.09.15 中国新聞 中国朝刊 地経 写有 (全1,294字)
  9. ^ どこの店舗は出典では不明だが、ポートプラザ日化の天満屋福山ポートプラザ店と思われる
  10. ^ a b c d e f g h i j k l 福山そごう、29日開業。中・四国で最大規模、初年度350億円の売上目指す 1992年04月28日 日刊工業新聞 31頁 写図有 (全437字)
  11. ^ a b c d e f g h i j 〈このひと〉 三井誠三・福山そごう副社長・店長 1998年02月03日 繊研新聞 11面 写有 (全590字)
  12. ^ a b c d e f g h i そごうが消える(上)地元に無軌道のツケ 再開発事業に影響する恐れ 読売新聞 2000年10月27日
  13. ^ 情報ポケット ビアガーデンあすオープン 福山そごう屋上(広島県)中国新聞 1996年04月17日 中国朝刊 福山 (全200字)
  14. ^ a b c d e f g h i いきいきびんご 暮らし経済 25ブランド加わり 20日新装オープン 福山そごう(広島県)1999.08.18 中国新聞 中国朝刊 福山/尾三 (全400字)
  15. ^ a b c d e f g h i j 福山そごう 衣料品テコ入れ、秋はキャリア増強、婦人服全体MDも見直し 1999.05.08 繊研新聞 19面 (全614字) 
  16. ^ 福山そごうがオープン 【大阪】朝日新聞 1992年04月30日 大阪朝刊 7頁 1経 (全157字) 
  17. ^ 備後コーナー 福山そごう 改装し開店 13日 中国新聞 1996年09月05日 中国朝刊 井笠(全167字)
  18. ^ a b c d e f さあ出番/福山そごう社長・三井誠三氏「黒字化の重責を担う」 1999年06月11日 日刊工業新聞 22頁 (全486字)
  19. ^ a b c d e トップ談話室 福山そごう副社長・店長 三井誠三さん(64) 「黒字化」へ陣頭指揮(広島県)1998年03月18日 中国新聞 中国朝刊 福山/尾三 写有 (全873字)
  20. ^ a b c d e f g h 福山そごう 7年目の逆転だ 天満屋福山店 老舗の意地だ 月間売り上げ 抜きつ抜かれつ いざ決戦 歳暮商戦 照準は13日 やる気満々(広島県) 中国新聞 1998年11月28日 中国朝刊 東A 写有 (全1,003字)
  21. ^ テレカを商品券と交換 冷え込む消費 呼び起こすか 福山そごう 31日まで 1998年12月17日 中国新聞 中国朝刊 二社(全540字)
  22. ^ a b c d e いきいきびんご 暮らし経済 振興券で買うと- 抽選で旅行・ビデオ 福山そごうと駅前商店会(広島県)1999年03月24日 中国朝刊 福山/尾三 (全387字)
  23. ^ a b c いきいきびんご 暮らし経済 女性従業員の秋冬制服一新 あすから福山そごう(広島県) 中国新聞 1999.09.22 中国朝刊 福山/尾三 写有 (全234字)
  24. ^ a b c d ギフトPR 1万戸訪問 福山そごう(広島県)中国新聞 1999年06月11日 中国朝刊 東A 写有 (全339字)
  25. ^ 福山そごう、備後地区最大規模の100円ショップをオープン 1999年10月05日 流通サービス新聞 5頁(全249字)
  26. ^ 東京商工リサーチ情報部 『なぜ、あの会社は潰れたのか 倒産企業21社に見る「失敗の本質」』 エイチアンドアイ 2000年11月 ISBN 978-4901032315
  27. ^ 『衝撃スクープ公開 自民党のために「潰れてくれ!」と懇願 亀井静香政調会長がそごう社長にかけた「倒産要請電話」全会話をスッパ抜く』 週刊現代2000年9月23日号 (小学館) (2000年9月23日)
  28. ^ a b c 民事再生法適用申請、福山そごう 事情説明に追われる社員 入り口には文書掲示(広島県)中国新聞 2000年07月14日 中国朝刊 東A 写有 (全597字)
  29. ^ 東京商工リサーチ情報部 『なぜ、あの会社は潰れたのか 倒産企業21社に見る「失敗の本質」』 エイチアンドアイ、2000年11月。ISBN 978-4901032315
  30. ^ 平成びんご30年 12 福山駅前再開発 そごう、ロッツ一進一退 キャスパ跡で新計画始動 (終)2019年04月29日 備後1-15版 20頁 山陽新聞朝刊 写有 (全2,074字)
  31. ^ 福山そごう貸し出し債権 トマト銀12億8600万円 回収不能の恐れ=岡山 読売新聞 2000年07月15日 大阪朝刊 31頁 (全135字)
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  33. ^ a b c d 株式会社アフタヌーンソサエティ 福山駅周辺の公共大型複合施設等のリノベーションによる官民連携一体的再生手法検討調査 報告書 2019年9月21日閲覧
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  39. ^ 伏見町再開発やっと始動 600億円投じて18階 9階から上は住宅 65年度着工へ説明会 読売新聞 1988年6月8日
  40. ^ a b 伏見町の「そごう」消える 覚え書きを合意の上解消  備後経済リポート 1997年8月5日
  41. ^ 伏見町再開発基本計画 第3次案
  42. ^ a b 伏見町/6月めどに計画試案 中国新聞 2000年4月25日 中国新聞
  43. ^ 駅前再開発が始動 東桜町と伏見町 テナント確保に課題 支援体制が不可欠 中国新聞 2004年11月06日 中国新聞
  44. ^ a b 福山駅前40階ビル始動 伏見町再開発組合と5社協定結ぶ 中国新聞 2005年9月26日
  45. ^ 伏見町北地区「16年度完成」 再開発の素案説明 組合分割も 南地区は2年遅れで整備 読売新聞 2011年1月16日
  46. ^ 伏見町再開発ニュース 2019年8月30日閲覧
  47. ^ JR福山駅前にクリニックモール誕生! Archived 2011年1月30日, at the Wayback Machine. (DtoDコンシェルジュ)
  48. ^ a b “アイネスフクヤマに空き店舗”. 中国新聞 (中国新聞社). (2011年6月30日)
  49. ^ 旧大型商業施設「CASPA跡」に複合施設 福山市 日本経済新聞 2019年4月25日 18:08 2019年9月21日閲覧
  50. ^ 福山駅前再生ビジョンたたき台(案)説明資料 2017年(平成29年)3月1日 福山市 建設局 都市部 福山駅前再生推進室
  51. ^ a b 福山駅前再生ビジョン 福山市 2017年(平成29年)11月

外部リンク